30.5.09

Let's go berrying!


5月は一年で一番好きな月だ。理由は簡単。木苺が生るからである。
毎年同じ場所にちゃんと生るなんて奇跡だと思う。だから毎年再会すると感謝せずにはいられない。
写真の赤いのが「クサイチゴ」、黄色いのが「モミジイチゴ」、紫のが「桑の実」
木苺摘みをゆっくり楽しみたくて、コロちゃんと一度帰宅した後再び独りで出かけた。
雨上がりの森林浴。スイカズラが微かに香る霧のシャワーを浴びながら、森と呼吸できることがただ嬉しかった。

14.5.09

アロマオイル


購入したアロマオイルをコルクにたらしてアロマコルクの完成です♪
ほたて貝にRIOJA(リオハ)の文字が良いでしょ?
お酒はあまり飲めないけれど、ワインは2杯ぐらいならいけます。
コルク栓の文字やデザイン、自然な風合いが好きで、抜いた栓は集めています。

大多喜ハーブアイランド


今日はお天気が気持ち良いので大多喜ハーブアイランドまでちょっとドライブ。
落石注意!路肩欠損(山道なので落ちれば下まで落ちます)の看板を何度も通り過ぎながら慎重に運転していきました。
信号が殆どないので30分で到着。距離にすると22kmですが、くねくねしてたせいかもっと遠く感じました。巡礼なら一日に歩く距離かぁ。。。ひぇ~。。ちょっと弱気な私。
さて、気をとりなおしてハーブアイランド・ベジタブルガーデン内のカフェへ。
ガラス温室のカフェの日よけは天井一杯にのびるトケイソウ。へぇ~トケイソウの実ってこんなんだったのか。なすみたい。ハーブティーのドリンクバーを注文。
しばし、さわやかな風に運ばれるハーブの香りにうっとりしながら読書をし、店内のお店でラベンダーのアロマオイルを購入し帰宅しました。

っとここまで書いて、本当にトケイソウかを確認。え!!?トケイソウの実ってパッションフルーツだったんですか!? あれは天井一面のパッションフルーツだったのか! おぅ~・・・!頭の中でただの茄子状だった実が突然ご馳走に変換っ!熟す頃にまた行かなきゃ。今度は歩いて行くか!? いや~車でしょ・・・ 

7.5.09

散歩の記録はもう11行程 でも訳は8行程

自分のブログを眺めてみると、3月4日に第8行程ゴール、4月2日には9行程まで進んでいるとあります。
散歩は引き続きコロちゃんに催促されて毎日1kmは進んでいます。(コロちゃんに感謝!!)
という訳で、ブログを放置していたら11行程まで来てしまいました。

今年のゴールデン・ウィークの大部分をレポートに費やし、提出できてほっとしている反面、
何か悔しいじゃないですか?それが大部分なんて。el caminoの翻訳も進めなきゃ!で昨夜から始め、
本日何とか第8行程の翻訳をup☆

散歩が11行程で、訳が第8行程・・散歩も行程の翻訳も娯楽でやっているんだから、訳が遅れて
「やばい!」という感覚はないけれど、今、ブログを書きながらこの状態にふと人生を重ねています。
まず、時間は止まらない。よってゴール(寿命)は来る。ってこと。
ブログの更新がおろそかになるというのは、つまり、ブログを書くことよりもっとやりたいことがあるって
ことです。寝たり、食べたり←(それが最初かい!)(^_-;)、レポート課題に取り組んだり・・
楽器弾いてみたり、絵を描いてみたり
だけど、ブログだってやりたいことの1つ。そう思うと、ゴールが来るまでにやりたいことやりきるってのは難しいことだな~・・ と「しみじみ」してきちゃいましたので、今日はここまで。

第8行程 Logrono ~ Najera

この行程では、赤土や早生のブドウ畑、そしてそのワインが旅人のお供をします。
旅程,
ログローニョを出て少し行き、美しいグラヘラ公園を通るとサン・アントンの丘の頂上に向かう上り坂が始まります。その後サン・フアン・デ・アクレ病院の廃墟を見渡し、道路の傍に陶器工房が並ぶ地域のナバレテに到着です。ナヘラから3kmほど手前にローランの高台があります。これはイスラムの巨人Ferragutと対戦したローランが勝利した神話を思い出させる小さな丘のことです。伝説によると、Ferragutの城に投獄されたキリスト教徒の騎士のかたきを打つためにローランはナヘラにやって来ました。ローランは後に彼の名で呼ばれることになったその丘に上り、遠くにその巨人を見つけると、石を投げつけてその異端者を殺しました。その後、囚われていた騎士たちを解放しました。この伝説のもう1つの説は、Ferragutと延々と問答合戦をした末、巨人の唯一の急所である臍を短刀で一突きにしたというものです。そうして、カール大帝率いる軍隊はナヘラを解放することができました。マス釣りが盛んなナヘリージャ川が朱色の大岩と背中合わせのその古い町を挟んでいます。
この地点からこのカミノの別の姿の始まりです。何度も語られてきた上り下りが続くナヴァーラの行程を後に、ここからはリオハ区域が始まります。この区間には2つの特徴があります。それは、似たような地形であることと、海抜380mのログローニョから800m以上のブルゴス地方までずっと続くという事実です。このように、カミノは旅人の忍耐力をくじかせるようなずっと続く偽の平原に変わるのです。こうなると、永遠に平地を歩き続けている感覚になるのですが、この行程のひたすら続く上り道により疲労が蓄積していきます。この傾斜は緩やかではありますがずっと続くためこの行程を通し脚は常に疲労にさらされるのです。

主な難所
標識:
カミノがログローニョを通過すると、町の公園内の標識で困る可能性があります。よく注意するか、人に尋ねるにこしたことはありません。
美しいグラヘラ公園に着いてから2kmほど進むとせいぜい1.5kmほどの坂道が始まりますが、その最初の700mがきついです。頂上まではずっとアスファルトです。ナバレテへ向かう下り坂に特に大変な所はありません。

分岐点
ベントッサに着いたら、舗装道路と小道のどちらの道でも進むことが出来ます。左にまわって小道を進むと表示されていない分岐点に出会います。右の小道を行くのが正解です。その代わり、もしアスファルトの道(ネヘラに向かう車道)の方を選んで数メートルいくとはっきり表示されたサン・アントンの丘に向かう小道が左手にあります。

サン・アントンの丘
この丘の一番きつい上り坂は1kmにも及びません。最初の500m位が足場は良くてもきつく、最後の約200mは石がごろごろした複雑な小道の構成になっています。下り坂では地面に特に注意を払わなければなりません。というのも、石ころや階段、車道を渡らなければならないからです。ナヘラに着くまではこれらの事に注意を払うほうが良いでしょう。

見所
ナバレテ:
ナバレテはその山に同心円状の街路を敷いた要塞の外観をもつ村です。ナバレテは陶器工房とカティージャとナバーラの間で繰り広げられた何度もの戦いで有名です。村には中世の建築様式の由緒ある大邸宅が見られます。また、12世紀末の城や城壁が残っています。聖母昇天教会やその拝殿はバロック様式の祭壇彫刻で飾られ、その聖器室にはレンブラントに描かれた16世紀のバッロック風の絵があります。墓地は13世紀のもので、幾何学模様のゴシック様式の門と大窓は元々旧サン・フアン・デ・アクレ救護院のものです。その柱頭の1つにはローランとFarragutの戦いが彫られています。

ヴェントッサ:
16世紀のサン・サトルニノ教会は日曜のみ開かれています。共同ワインがあります。ぶどう園や蜂蜜、チョリソ工房の村です。

ナヘラ
ローマ時代の古城跡近くに位置し、町の名前であるナハラは「岩の間」という意味のアラビア語に由来します。サンチョ大王がナバーラ王国の首都にし、サンチアゴ巡礼道がナヘラを通るようにしました。町は、ドン・ガルシアにより1052年に設立され、その後一族の霊廟となったサンタ・マリア・ラ・レアル教会や修道院を囲んでいます。3つの身廊をもつこの繊細な寺院は15世紀のゴシック様式の作品で、16世紀の合唱隊とビルバオの設立者ドン・ディエゴ・ロペス・デ・ハーロに加えナバーラ、カスティージャ・イ・レオンの王の異なる墓を所有しています。騎士の回廊はプラテレスコ様式で、美しい石のラティスが備えられています。7月にはナヘラの年代劇がこの記念建築内で祝われます。ナヘラは巡礼者に幅広いサービスや商品を提供できる地域の要で、球投げで有名な他、数え切れない家具工房があります。