14.9.09

地球に乾杯

先日youtubeを見ていて大発見!!!
これこれ!!私はこの番組を見てカミノを知りました。
投稿者の方、有難う~本当に感謝しています。

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http://www.youtube.com/watch?v=BAdL4T8Yjfk

あれからどれだけ歩いたか?

散歩の記録を見たら最後が7月2日になっていた。
相変わらず一日1kmはコロちゃんと歩いているが、ここ一月は気候が良いので2kmくらい歩いている。
ってことで、今355km地点。行程でいくと18行程あたりだ。
ま、いいか。

第9行程 ナヘラ~サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ

サントドミンゴ・デ・ラ・カルサダ 鶏の丸焼きが鳴いた土地

旅程
ナヘラから長命の聖人の町に着く前にアソフラ、アソフラのロメロスの泉、アレサナコ、そして特にアッシジの聖フランシスコが一泊したカーニャスシトー会修道院を通る。その後、フェルナンゴンザレスがナバーラの軍隊に捉えられた場所であるシルエーニャやカラトラバ修道会の古い病院があった聖ミリャンとエルビアスの教会があるシリニュエラが姿を現す。
サントドミンゴデラカルサダではカテドラルの中に私達に有名な奇跡を思い出させてくれる雄鶏と雌鳥をみることができる。

---14世紀にSaintes(当時はドイツのコロン教区に割り当てられていたフランスの街)の夫婦が、息子と一緒にサンティアゴへ巡礼をしていた。サントドミンゴの旅館で宿の女性がその若者を誘惑したところ、彼が彼女の誘惑を拒否したので女将は復讐にその若者の服の中に銀杯を隠し、翌朝盗難として訴え、彼は逮捕され絞首刑にされた。
両親は思い悩んだがコンポステーラまで旅を続け、再び町に戻ってみると(絞首刑となって吊るされたままの)息子はまだ生きていた。聖人が(首が絞まらないように)彼の足を支えてくれていたからだ。二人は急いで判事館へいった。判事はこれから2羽のローストチキンを食べるところだった。彼は息子が生きているならこれから自分が食べようとする二羽の鳥が生きているというのと同じようなものだと答えた。その瞬間、その動物たちは皿から飛び出してヒラヒラ飛び鳴きはじめ、若い巡礼者は無実となった。---

特に急な坂で始まるナヘラの道の為にこの行程は険しい道から始まる。登り坂が続くこの行程でリオハ区間を元気に進んで行くには、辛抱強くアソフラ付近のRollo de Justicia(正義の曲がり道)や道中の眺めを楽しむことをお勧めする。工事のためシリニュエラには入れずゴルフコースの傍を通らせる一時的な迂回路があるので、アソフラ~サントドミンゴ間の最後の15kmに備えて体力を温存することを忘れてはならない。そこではゴルファー達が打ち上げるボールに特に注意する必要がある。

主な難所
ナヘラの出口に1kmほどの上り坂がある。険しくとも行程の最初であることが救いだが、巡礼者はこの坂の険しさに驚かされる。
アソフラのRollo de Justicia(正義の曲がり道)の素晴らしい眺めを満喫して1kmほど行くとサントドミンゴまでの間の主な難所である1300mの上り坂が始まる。

見所
アソフラ
小さな丘の上にあるこの町には巡礼道にそって高貴で盾の家紋をあしらった家がたちならぶ。教区教会は巡礼者の聖ヤコブとトゥールズの聖マルティンの像が見ものだ。アソフラから数キロメートル先に文化遺産である聖ミリャン・デ・ラ・コガーリャ修道院(上の修道院がモサラベ、下が僧院)は、『聖ミリャン修道院の注解』の存在によってカスティジャーノ語の発祥地とされる他、バスク語で書かれた最初の言葉がある。アソフラ寄りには聖ドミンゴ・デ・シロスの故郷である美しいカニャのシトー会修道院がある。

サントドミンゴ・デ・シロス
この町は正真正銘のサンチアゴ巡礼道の産物である。1044年に聖ドミンゴに設立され、巡礼者ためにオハ川に24アーチの橋の他、ナヘラ~レデシージャ間の車道と宿をを作った。
それ以来町は栄え始めた。聖ドミンゴの墳墓の上に町のランドマークであるロマネスク設計のカテドラルはゴッシック・ルネッサンス様式である。中には聖ドミンゴの墳墓の前に「ロースト後に鳴いた雌鳥」の伝説を記念して雄鶏と雌鳥が一緒に容れられているニッチがある。パラドールは巡礼者用の古い病院の当時の要素がふんだんに保存されている。サントドミンゴでカルサダは地方の首都で多くの商店・レストラン・バルがある。12月には中世市を盛大に祝う。